メオトカフェ

中年倦怠期夫婦の「カフェ道」

最低な誕生日デートだった。

2人きりで出かけた。

 

「誕生日、どうするの?」と、彼が言うからだ。

ワタシの誕生日ではない。オットの誕生日が近づいているのだった。

「何も考えてないけど」

正直に言った。

結婚して以来、ワタシが彼の誕生日に彼のために催した全てのことについて、彼が喜んだことは一度もない(ついでに言えばクリスマスも、その他のイベントも同じ)。結婚して15年以上。ワタシだっていい加減、労力とお金の無駄遣いだと気付いた。

もう、“今日が生まれた日で、ひとつ年 取ったんだね“という確認だけでいいのではないか?そう思いつつ、結局毎年祝いを催してしまう。

「どうしたいの?」と聞いてみた。誕生人ファーストだ。

「映画、見たい」

映画。この街にあった映画館はとうの昔に閉館し、今は車でずいぶんかかる道のりだ。相当な段取りをして、出かけなければならない。

子供たちの了承を得て、二人ででかけることになった。

 

 

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目的地に着くと、すでに昼。

子連れでは入らない価格帯の寿司屋が、10分ほど並べば入れそうだった。

彼はお寿司が好物のひとつで、彼と付き合い始めて1年で、ワタシはそれまでの二十数年の人生で食べた寿司の総量を超える寿司を食べた。(その頃は、それも新鮮だった。)

 

「お昼、お寿司にしようか」

と提案するワタシに、「そこらへんの、ラーメン屋でいいよ」とオット。

一応、誕生日のデートなのに?そう年に何度もないことなのに?

誕生日くらい好きなものを食べて欲しいので、少しばかり説得し、お寿司屋さんの列に並んだ。

彼は美味しいお寿司を食べても、嬉しそうな顔も満足そうな顔もしなかった。特に会話もなかった。

いつもそうだ。

そうなのだけど、この日はいつにも増してひどかった。

彼が言ったとおり、そこらのラーメンでささっと済ませればよかったのだ。

また、やってしまった。労力とお金の無駄遣い。

人はなぜ、とうに学習したことを繰り返して、失敗してしまうんだろう。

 

食事を終え、映画まではまだ時間があったが、彼に「早く行ったら」と勧められ、ワタシは一人ショッピングに向かった。ずいぶん長い間、ワタシたちは一緒に映画を見ていない。見たい映画が違うし、ワタシはそれほど映画が好きではないので、その時間は別々に過ごす習わしになっている。2時間ブラブラしたが、これといって欲しいものは見つからず、時間をつぶして映画館へと向かった。

 

「近くにいます」とラインを入れると電話が鳴った。

「駐車場に来ちゃったよ」

「え?終わったら電話してって言ったのに」

彼は寿司と並んで、生クリームたっぷりの甘いものが好きだ。そんなスイーツが食べられるカフェでお茶でもしようと思っていたのに。

「じゃあ、ワタシも戻るね」

もと来た道をひとり、歩いた。

重ね重ね、やってしまった。

時間と労力の無駄遣い。

 

ワタシがついてきた意味はあったのか?

彼に一人の時間をプレゼントすればよかったのでは?

 

腹が立つより、虚しさだけがこみ上げた。

 

よりよい時間を過ごそうとしない姿勢は、そのまま彼の人生につながっている。

楽しい時間を作り出そうとせず、暗い顔でため息ばかりついている。

そばにいて、楽しいはずがない。

なんとかしようと試みた時期もあったが、それはさすがにもうやめた。

 

代わりに素知らぬ顔で、天気と同じようにやり過ごすことを覚えた。

この雨を自分の力で止ませてみよう、この雲を自分の力で吹き飛ばそう、とは誰も思わないはずだ。雨なら雨の過ごし方をし、晴れる日を、風通しのいい日を待つのみだ。

 

無言の帰り道、一言だけ言ってみた。

「相手を置いて、一人で駐車場戻るなんてありえないよね。覚えてないだろうけど、前にもあったよ」

彼は曖昧に返事をした。

 

それ以上言わないように、必死で我慢した。

 

長いだんまりの道中で、思いを巡らせた。

彼は彼なりの優しさで、限りある滞在時間でワタシがショッピングを長く楽しめるよう、早く昼食を済ませようとしてくれたのかもしれない。

慌てて買い物を切り上げなくてもいいよう、映画が終わっても黙って車に戻ったのかもしれない。

振り返ればこれまで、デートで楽しませてもらったこともないが、買い物が長引いたりして彼を待たせても、怒られたことは一度もない。

 

ワタシと(人と)過ごすことに興味がないのか、ワタシのことを思っての行動なのか?

後者だと信じなければやっていけない。

 

白黒つけず曖昧にしておいたほうがいいことも、夫婦にはある。昔、誰かの結婚式の祝辞で「結婚前は両目でしっかり相手を見て、結婚したら片目をつぶって相手を見なさい」という話を聞いたことがあったが、本当にそのとおりだ。

曖昧にしたまま。

それでも何かを共有し、共感したくて、夫婦カフェ巡りを始めたのだ。

 

 

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数日後の誕生日当日。

よせばいいのに、雨の中、回り道をし、ケーキの代わりにプリンパフェを買って帰った。

彼はありがとうと言うでもなく、冷蔵庫の中のそれには手を付けず、食べかけのヨーグルトを食べた。

 

ワタシよ、お疲れさん。

その見開いた目の、片方を閉じるのだ。

 

来年こそは、何もするでないぞ。