メオトカフェ

中年倦怠期夫婦の「カフェ道」

夏休みなのに、ほぼ毎日弁当を作っている

夏休みなのに、ほぼ毎日弁当を作っている。

最大4個。

 

大人のお仕事持参弁当に、次男の預け先持参弁当。

長男はごく簡単な自炊はできるし、本来なら夏休みのお昼は、適当に自分で用意して食べて欲しいのだが、今年はいろいろあって弁当が必要な日が多い。

 

弁当が必要な理由、現在の第1位は「家庭内隔離」。

真夏になって、運動部でマスクをつけて活動することは不可能になった。

なので部内で体調不良者が出たとか、遠征・対外試合の後などは、念のため長男は3日ほど家庭内隔離し、部屋に食事を運ぶ。我が家ではこの措置を「レベル4」と呼んでいる。

特にレベル1からの細かい定義があるわけではないのだが、なんとなく、危機感が高まる。

たとえ長男が感染しても、家庭内感染は防ぎたい構えである。

 

かくして3日間が平日に当たった場合、昼の弁当が必要になるというわけだ。

レベル4と言っても、この時点で感染者でも濃厚接触者でもなんでもないので、彼は隔離室から部活に行き、マスクをつけて花火大会にも出かけるという奇妙な生活をしている。

 

この長男は年頃の男の子にしては、わりと親と話をしてくれる方だと思うが、レベル4の期間はコミュニケーションは挨拶と業務連絡だけになり、「今日はこんなことがあった」とか「練習がきつかった」というような日常に起きたこと・感じたことの情報はいっさい受け取れなくなった。

同じ空間で過ごし、共に食事することの大切さを痛感する。

 

ワタシは妻であり、母親だけど、料理がとりたてて好きではなく、できることなら誰かにやって欲しいとすら思っている。

家庭内で他にやってくれる人がいないから仕方なく、担当大臣を務めている。かと言って食べる側でもある立場から、冷凍食品だらけの弁当も食べたくない。だからできるだけ手作りで、食べ飽きない弁当作りを心がけてはいる。息子の部活がある日は栄養面やスタミナ・腹持ちなども考慮しなければならず、量も多いので大変だ。

彼の給食生活が終わった時、これから弁当地獄が始まるのだと気が重くなったものである。

 

なのに今、弁当作りが大変だけど苦ではない自分がいる。

ワタシは気付いてしまった。

オットに作るのと息子に作るのは違うんだということに。

 

日頃から何を作ってもウマイともマズイとも言わず手応えのないオット(残さず食べてはくれる)に対し、息子はなんでも旨い旨いと幸せそうに食べる。

教科書よりも、スマホよりも、弁当を大切に学校へと運んでゆく息子。

 

そりゃ、頑張ってしまう。

 

オットとワタシの分だけだった頃より、内容は格段にグレードアップした。

 

昼休みには時折、「今日の弁当最高!」とラインが届く。(オットからは一度もない…)

朝のバタバタとイライラも帳消しだ。

職場と学校(時々隔離室)、離れた場所で同じ弁当を広げ、そんな感想を受け取ることも、数年たてばなくなってしまうのだと思うとなんだか寂しい。

 

 

どんなに大変でも「卒業」の日が来れば、弁当作りは終わる。

弁当作りを始めたその日から、終わりへのカウントダウンは始まっているのだ。

それはすなわち、巣立ちの時でもある。

 

そう思うと、頑張ってしまう。

 

彼に贈る“最後のしごと”と思いながら日々務めている、料理・弁当担当大臣である。

 

オットへの弁当作りも、いつか終わりのカウントダウンが近づけば、それなりに思いは変わるのだろうか。