メオトカフェ

中年倦怠期夫婦の「カフェ道」

第3回  【いつかは特別だったはずのカフェ】 さあ、結婚記念だぞ。

月に一度だけの夫婦2人のカフェ巡りも3回目。凍てつく雪道をたいした会話もなく歩いた日から、約2か月。

ずいぶん暖かくなった。

そこかしこに雪はまだ残っているが、今日は上着がいらないほどだ。

とはいえ、季節を先取りするようなオシャレ夫婦ではないので、格好は冬のまま、上着を持って出かけた。

上着がいらないほど」なのだから、いつもの格好から上着を除けば間違いないのかもしれないが、今回は“それなりに”よそ行きな雰囲気でいたい気持ちもあった。

今月は十何回めかの結婚記念の月なのだ。

 

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コロナ前は、結婚記念日に近い週末には1日子供を預け、住む街を離れて過ごした。

といっても食事をした後はワタシはショッピング、オットは映画。帰る前に落ち合う…行き帰りと食事以外は別行動、という過ごし方が定番だった。

 

オットは着るものや持ち物にまるで興味がないし、ワタシとオットは見たい映画もほとんど違った。

どちらかがどちらかに合わせて、せっかくの自由な時間を退屈に過ごすより…と話し合ったわけではないが、いつしか(けっこう早い段階から)こうなっていた。

これが私たちの“デート”だったが、結婚記念日3回分にわたるコロナ自粛期間を経てみると、これでいいのか?という気もしてくる。もっと交わってこそ、自分本位でなく相手を喜ばせるような努力をしてこそ、“デート”なのでは?とも思ってみたり。

 

『デートとは??』

 

我が家の辞書には「恋い慕う相手と日時を定めて会うこと」とある。

 

「恋い慕う相手と」という部分は、中年夫婦にはいろいろあるので横へ置いておいて(あまり深く考えない方がよい気がする)…

 

「日時を定めて会うこと」とある。

日にちや時間を決めて会えば、それでいいのか。

 

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さて、今回のカフェである。

 

私たちの住む地域ではまだ「まん防」の最中、子供を留守番させていることもあり、遠出はやめて普通のカフェタイムを過ごすことにして家を出た。

「記念日」なのだけど、年度末のあれやこれやで忙しく、事前の計画ゼロ。

車に乗り込んでからの協議となった。

近場の行ったことのないカフェを提案したオットと、少し遠くの行ったことのあるカフェを提案したワタシ。「記念日だしドライブを兼ねたい。春だし南の方へ向かいたい」ということで、ワタシの案が採用された。

だが、この「少し遠く」でつまずいた。

いろいろと話題を振ってみるが、いつものごとく気のない返事。全く会話が進展しない。この長い道のりよ。

「あのさ、月に1回でいいんだから、もう少し気合い入れて会話してくれない?ワタシ1人でしゃべってるみたいじゃない?」

 

やや不穏な空気でたどり着いたカフェで、いつもどおり、ブレンドコーヒーとカフェオレを注文する。

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手作りチーズケーキとともに

また、二人で一つのケーキ。

「ちょっと酸味があるな」

「そう?」

言われてみればそうかもしれない。

今回は完全に「味わう」ことが疎かになっているワタシ。

ここに至るまでのプロセスが具合よくなかったことが、尾を引いている。

“過程”と“雰囲気”が気分を盛り上げるうえで重要なのであって、むしろ料理はそれをアシストするものと思うワタシと、とにかくメインディッシュ!というオット、個人差なのか男女差なのか、そこはどんな場面でも、私たち夫婦のなかなか埋まらない部分なのだ。

 

コーヒーを飲み干してしまえばとどまる理由もなく、早々にお店を後にした。

「コーヒーそんなに美味しくなかったな」

「わたしも。この3回の中ではイマイチだった」

地元ではそこそこ名のあるカフェなのだけれど。

気分が乗ってなかったせいなのかもしれないけれど。

以前はもっと美味しく感じた気がするんだけれど。

 

お店はきっと変わらぬ味を提供してくれているのだろう。

以前来たのは独身の頃、そして二度目は結婚間もない時期だった。

 

何かが変わってしまったのは、私たちの方なのかもしれない。

 

 

「オレはコメダのコーヒーが一番好きだ」

「何の好き宣言なの」

「ウマいし、量もソコソコある」

まあ確かに庶民寄りのコーヒーなのかも…

結婚記念日に、よそのカフェの駐車場の真ん中で叫ぶ愛ではない気もするけど…まあいいか。なんとなくわかる気もする。

淡々と散歩を済ませ、家路についた。

 

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こうして十何回めかの結婚記念デートは、それらしいエピソードもなく終わった。

日時を定めて会っているのだから、定義としては合格とも言えるけど、そこには珍しさも感激も、楽しさもなかった。

 

どうしてなのかと頭をひねって考えてみれば、このデートに足りなかったもの、私たちが失ってしまったものは「新鮮さ」なのかもしれなかった。

「特別」は数を重ねれば「日常」になっていく。

このカフェ巡りにしても、3回目にしてすでにマンネリ化の気配が漂っている。

もしや、必要なのは「特別」じゃなく「初めて」…?

 

よし、この分析(?)を活かして、次は「新鮮さ」を感じられるよう、「初めて」をトッピングしたプランでいこう。