第7回 【大きな窓のあるカフェ】いつもそこにある景色
7月のカフェ。
夏だし、夜カフェもいいのではと思い、金曜の夜、オットの帰宅を待って出かけてみた。
夜遅くまで営業しているはずの店に向かったが、どういうわけか真っ暗。
もう一軒行ってみたけれどこちらも明かりが落ちている。
「なんで?コロナでも出たのかな?」
コロナ禍になり、臨時休業に対して人々は寛容になったと思う。
事情はなんであれ、
「コロナかな?…仕方ないか」と。
せっかく出向いたのに残念ではあったけど、日を改めることにして帰途についた。
翌日。
夜の時間帯に出るのは難しそうで、15時過ぎの家事・用事の合間に、やや強引に出かけることになった。
この日は予定していた昼間のイベントに参加できずがっかりしていたのと、夜のカフェではなくなったこと、いつもながら車に乗る前も乗ってからも相変わらずノープランなオット…小さな三重奏で、ワタシはどことなくイライラ、モヤモヤしていた。昨夜、自分の寛容さを確認したばかりだというのに。
こんな気分でカフェに行っても、時間とお金の無駄遣いじゃない?
そうなったら不機嫌カルテットになってしまう…。
まだ間に合う、やめる?
心は揺れていたが、「モヤモヤのまま、夫婦でカフェに行ったらどうなるかの実験」だと思い直し、そのまま向かうことにした。
***************
店は街の人の生活圏から少し離れた、郊外の長い坂の途中にあった。オットがいつかの学校行事でたまたま隣り合ったお父さんに「妻がやってるからぜひ来てください」と教えてもらったお店だ。ワタシも「坂の上にカフェがあるらしい」という程度にしか知らなかった。
おしゃれな家なのか、お店なのか?という佇まいだったため、怪しみながらも一度通過。坂の上まで登り詰め、やはりあそこだった?と引き返した。
この頃にはイライラ・モヤモヤボルテージは半減していた。
2人で店を探すという“共同作業”が功を奏したのかもしれない。
店内にお客はおらず、「閉店まで30分あまりですがいいですか?」と尋ねられた。
時計を気にしなくてはいけないが、長すぎず、短すぎずのいいところだ。
窓際の席に腰を下ろした。
大きな窓の外には一面に広がる緑の風景。
絶景でもなく、作り込んだガーデンでもない。
そこにはワタシ達の地域では見慣れたはずの山の斜面、田んぼ、畑。電柱に道、そして遠くに家並みが広がっていた。
何一つ、ここでなければ見られないものなどなく、ありふれた田舎の風景。
なのに、なんでだろう?全然違う。
いつもの景色は、窓というフレームを挟んで、すごく特別なものになっていた。
この場所をこの角度で切り取ったのが、すごい。
切り取ったのは旦那さんなのか、奥さんなのか?はたまた第3の人物なのか?
そんなことを考えながら、カフェオレとパンケーキをいただいた。
「なんか、すごーく遠くに来たみたいだね」
「うん。ずっといられるな」
30分ほどの時間は、異次元に迷い込んだように、思いの他ゆっくりと感じられ、十分に気分転換できた。
***************
“実験”の結論として、モヤモヤした気持ちのままカフェに行っても、しっかり気分転換することができた。
パンケーキとカフェオレが美味しかったのはもちろんだけど、なんといっても窓の外に広がる景色が、少々ささくれた心を癒してくれた。
いつもそこにあるものを“特別”にする工夫。
いつもそこにあるものを“財産”にして、何もないこの街で、こんな空間がつくれるんだという小さな感動。
そして、その小さな特別と感動を共有してくれる人がいるありがたさ。
帰り道、そんなこんなを感じながら、心はすっかり“ととのって”いた。
今月も、付き合ってくれて、ありがとう。